【声明・和訳】「タイの新憲法案及び国民投票の手続きについて重大な懸念を表明する」声明を公表しました。

タイでは、8月7日に新憲法案の是非を問う国民投票が実施されましたが、その内容についてはタイの市民社会のみならず、国際社会から様々な懸念が示されてきました。

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウでは、国民投票前の8月5日に「タイの新憲法案の内容および国民投票の手続きについて重大な懸念を表明する」声明(英文)を公表しましたが、このたび日本語訳を作成しましたので、全文を紹介します。

声明和訳 20160805 タイ憲法声明 [PDF]

英語原文はこちら 20160805 Thailand Constitution Statement [PDF]


2016年8月5日

タイの新憲法案及び国民投票の手続きについて重大な懸念を表明する

  1. 新憲法案の是非を問う国民投票

タイでは、2014年5月22日の軍事クーデタ以後、2年間続いた軍政を経て、2016年8月7日(日)に新憲法案の是非を問う国民投票が実施される。

タイの憲法起草委員会は2016年5月29日、279条で構成される最終草案を提出し、2017年の総選挙に向けて同年8月7日に国民投票を実施することを発表した[1]

これを受けて、現地の市民社会組織や国際社会は強い懸念を示し、国連人権理事会の普遍的定期的審査(UPR)でも数々の勧告が出されたものの、タイ政府は国民投票の実施を進めている。

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、クーデタ以降のタイにおける軍部の強力な権力、そして、人一般市民に対する基本的人権の抑圧を批判してきた。

私たちは、新憲法案の内容および国民投票の手続きを検討した結果、タイにおける憲政改革の手続きそして内容そのものに対し重大な懸念を表明せざるを得ない。

軍事政権は、新憲法案によって民主的な選挙と政府を回復させると約束した。しかし、民政移管の過程は、タイが遵守すべき国際人権法上の義務に基づいて行われ、批判を封じ込めることなく、市民の本当の声を反映させるべきである。

 

  1. 新憲法案に対する懸念

(1)国家平和秩序評議会(NCPO)の権力維持

私たちは、新憲法案によって、軍部が新政権を実質的にコントロールし、影響力を行使できる点について懸念している[2]

第一に、新憲法案第265条によると、民政移管のための総選挙が行われ、新政権が成立するまでの間、NCPOが政権を担うことになっている。

第二に、新憲法案第269条によると、新政権成立後少なくとも5年間は、250人で構成される上院議員をNCPOの勧告に基づいて国王が任命する。また、大270条は、タイの民政移管の期間中、上院が国政の義務や権限を行使することが規定されている。この権力構造によって、NCPOは上院を通じて新政権をコントロールすることが可能になる。

軍事政権はこのような権力を維持することで、ほとんどの政治過程をコントロールできるようになる。

 

(2)人権に関する懸念

新憲法案の第3章は、「タイ国民の権利と自由」を規定している。同章の規定は人権を保障するためのものであるが、問題なのは、これらの規定が政府によって制限・制約され、(緊急事態の際には)停止されうる文言を含んでいるという点である。この大まかであいまいな文言のために、政府がほぼ全ての状況下で恣意的に権利を制約することができてしまう。例えば、人権は、「国家の安全保障、人民の公共の秩序及び倫理に影響を与えたり、害したりせず、また、他人の権利及び自由を侵害しない範囲」で保障されるとされている[3]。しかし、これらの範囲は、政府の裁量によって決まるのである。

また、緊急事態の際の権利の停止について新憲法案は、「閣議で不可避な緊急事態であると意見が一致した場合にのみ」[4]、人々の権利が停止される緊急事態法令を国王が発するとしている。一応、閣議の決定が下院によって否決される場合もあるが、上院や軍部の影響が残る憲法裁判所の「緊急事態法令下で取られたいずれの措置」も、そのような否決に影響を受けないとされている[5]。また、新憲法案は、どの権利がどの目的で停止されるかについての基準を定めていないため、権利の停止とその根拠もすべて閣議の自由裁量に委ねられている[6]。このような大まかであいまいな条件は、政府が自由に解釈できる余地があり、国際人権法の規範に違反している。

さらに、第279条は、NCPOの命令を含む新憲法発布日の前から効力を持っている全ての布告、命令、及び法律は、新憲法下でも効力を持つとしている。NCPOが権力を握ってから、様々な命令が発布され、タイの活動家、野党そして一般市民の基本的人権を大幅に制約してきた。この条項によって、NCPOが犯してきた深刻な人権侵害が正当化され、人権は大幅に制約され続けてしまう。

新憲法案は、タイの国家人権委員会が人権侵害を監視し、その委員は上院の助言に基づいて国王によって任命されることを規定している[7]。しかし、その権限は、報告書の作成や勧告の発表にとどまっており、政府に措置を取るよう命じたり、行為を禁止したりする権限は全くないほか、司法に措置を取るよう促す権限もないため、その有効性は非常に限られている。

 

(3) 新憲法案に対する意見表明の抑圧

新憲法案は、人権及び民主主義を損う深刻な問題を引き起こしているが、現軍事政権は、刑罰、脅し、嫌がらせといった手段で、新憲法案に対するいかなる反対、批判もしくは議論を封じ込めている。

2016年国民投票法の第61条は、有権者に影響を与えたり、国民投票を妨害したりするような虚偽の情報の流布を、10年の実刑と10年間の投票権の停止を伴う違法行為と定めた[8]。軍事政権は、この法律を利用して、新憲法案の国民投票に関する批判、議論およびその他の表現やキャンペーンを抑圧し、実際、活動家、批評家そしてメディアを取り締まってきた[9]。軍は、新憲法案に関する議論を封じ込めるため、5人以上からなる政治団体を禁止したほか、テレビ局は30日間放送が禁止された[10]。また、新憲法案を批判した人が、NCPOによって軍事施設に拘留されたという報道もある[11]。公共の議論の場で批判的な意見を許さず、また、肯定的な意見だけが放送される状況では、国民投票はタイ市民の意見を正確に反映することはできない。政府は、基本的な自由と人権、特に、意見表明、表現、結社、集会の自由を保障し、国民投票における人々の選択の自由を保障する必要がある。

 

  1. 提言

ヒューマンライツ・ナウは、2014年の軍事クーデタ移行、タイの人権状況について重ねて懸念を示してきた。軍事政権は、タイ市民の基本的人権、特に、表現、結社、集会の自由を厳しく制限し、人権活動家の正当な活動を抑圧してきた。NCPOの命令によって、政府は恣意的逮捕、拘禁、さらには、拷問といった強大な権力をふるってきた。これらの行為の多くは、タイも加盟する「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」に違反している。民政移管の過程で、タイ政府は抑圧的な政策をやめ、人権、法の支配および民主主義を回復させることが求められている。

 

・新憲法が軍部の過度の影響力及び人権侵害の可能性を残している点、また、国民投票に至る過程で起きた実際の人権侵害を鑑み、ヒューマンライツ・ナウは、タイ政府に対して以下の措置を要請する。

・新憲法の批判者の拘留、および、批判的報道の規制や政治的集会の不許可など新憲法案の是非を問う国民投票に関する公開議論を妨害する行為を止め、国民投票が公平かつオープンに実施されることを保証すること。

・憲法改正及び民政移管のプロセスに関し、表現、意見表明、結社、集会の自由を保障すること。

・国民投票の結果のいかんにかかわらず、法の支配、民主主義及び人権を回復させること。

・自由権規約及びタイが加盟しているその他国際人権条約に則り、タイ市民の基本的人権を確実に保障すること。

・NCPOが発令した国際人権法上の義務と矛盾する全ての法律と命令を撤廃すること。

 

以上

[1] http://www.mfa.go.th/main/en/media-center/14/66031-The-Dissemination-of-the-Final-Constitution-Draft.html

[2] タイ新憲法第2草案(2016)

[3] 同上、第25条第1パラグラフ

[4] 同上、第172条

[5] しかし、同上第172条第4パラグラフでは、「緊急事態法令が法律の廃止及び改正の効力を持つ場合、廃止及び修正前の実行法の条項は、緊急事態法令の効力が否決された日から再び効力を持つ」とされている。

[6] 例外として、同憲法案は緊急事態の際に、重要な人権である強制労働の禁止(第30条)の権利の停止を明示的に定めている。

[7] 同上、第246条

[8] http://aseanmp.org/2016/04/25/regional-mps-concerned-thailands-draft-constitution-planned-referendum/;

https://www.hrw.org/news/2016/06/21/thailand-junta-bans-referendum-monitoring

[9] https://www.theguardian.com/world/2016/aug/03/thailand-referendum-fears-over-fair-vote-as-military-cracks-down-on-dissent

[10] Amnesty International, “Open Letter to Prime Minister Prayut Chan-Ocha”, 25 July 2016, pp. 4. ff., https://www.amnesty.org/en/documents/asa39/4548/2016/en/; https://www.theguardian.com/world/2016/aug/03/thailand-referendum-fears-over-fair-vote-as-military-cracks-down-on-dissent

[11] https://www.hrw.org/news/2016/07/29/thailand-army-detains-referendum-critics