ロヒンギャ難民キャンプにおける事実調査:今でも続く危機
今年の1月末、ヒューマンライツ・ナウはバングラデシュのコックスバザールでロヒンギャ難民を対象に事実調査を行いました。難民、150人以上に取材を行い、15人を対象に詳細なインタビューをすることができました。難民の多くは、 暴動が再び起こった2017年8月に避難して難民となりました。
難民は目撃、体験談を語り、広範囲かつ組織的な銃や空爆による襲撃、拷問、強姦、村の焼き討ち、恣意的な逮捕などを証言しました。
例えば、35歳の男性は、以下に語りました:
「まず、軍による空爆がありました。空爆から逃げると、周りに武装した警察と仏教僧が逃げようとした人を殺し始めました。モスクでは、祈っている人がいるのに外から鍵がかけられ、周りにガソリンを撒かれ、火をつけられました。モスクの中には、5歳の子どももいました。私は、逃げている時に腕を銃で撃たれ、私の両親は殺されました。 バングラデシュの国境に着き、釣り船に乗りました。しかし、船の事故により、溺れて死んでしまった人もたくさんいました。」
恣意的な逮捕を受けた31歳の男性は、以下のように語りました:
「半年間刑務所で拘束されました。900人ぐらいのロヒンギャの人々が一緒に入っていましたが、多くは未だに解放されていません 。その中には、12、13歳の子どもや、150人程の女性がいました。警察は、空爆などの攻撃をして、逃げようとしている人を逮捕していました。私は、棒で叩かれ、食べ物は少ししかもらえませんでした。病気や拷問で2週間に一人は亡くなりました。」
また、難民の中には、多くの子どももいました。5歳の男の子は「ミャンマー軍が家に入って目の前でお母さんの首をはねました。たぶんレイプもされていました。」と打ち明けました。
さらに、現地で援助を行っている国際機関、NGO、クリニックなどの話も伺いました。ある医師は12月から働き始め、1カ月で75人以上のレイプによる妊婦を診察したそうです。難民キャンプでは、 衛生問題が多く、ジプテリア、コレラ、気管支炎、肺炎、皮膚病などが蔓延しています。不安障害やPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、メンタルヘルスの問題も深刻であり、困難なキャンプでの生活によって悪化することが懸念されます。
話を伺ったほとんどの人は援助物資が足りないと答えました。国際機関等からの援助は、米、油、豆、塩、砂糖、床にひいて寝る用の竹の御座のみで、栄養が問題視されています。子どもに対する教育の機会も限られており、教育を受けずに生活している子どもが多いです。
キャンプの環境状況も問題視されています。もともとジャングル地帯であったキャンプは、スペースと仮設住宅を開発するために伐採が実施されていました。そのため、土砂、季節風、洪水など、自然災害の危険性が高まっています。加えて、人口密度も高いために、火事の広まりが懸念されています。
キャンプでの生活が苦しいにもかかわらず、インタビューを伺ったロヒンギャ難民の全員が帰還に強く反対していました。彼らは、暴動の停止や市民権の取得などを帰還条件として主張していました。
45歳の難民女性はこのように語りました:
「私たちは、解決法がない状態で帰ることを非常に恐れています。ここは苦しいですが、軍隊がロヒンギャを殺害するミャンマーと比べて、安全ではあります。私たちにとって危険な状況があるのに、それを解決しないまま帰還させようとされるのなら、ここで我々を殺してもらった方がいいです。」
キャンプで生活しているロヒンギャ難民の福祉を実現するために、国際社会によるさらなる援助が必要であることが伺えました。ミャンマー政府が人権侵害や差別を二度と繰り返さないこと、市民権取得の機会や十分な生活水準をあげる持続的可能な帰還措置を講じることなくして、この危機に終止符を打つことはできないでしょう。