国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、本日(2021年8月17日)に開催された緊急合同記者会見「ウィシュマ・サンダマリ氏の死亡事件調査報告書に対するNGO合同会見 」にて共同声明を発表しました。
本声明は、2021年3月6日に名古屋出入国在留管理局の収容施設に収容されていたスリランカ国籍の女性ウィシュマ・サンダマリ氏が死亡した事件について、出入国在留管理庁が公表した調査報告書に対する抗議声明です。
日本の入管の原則収容主義を改めると共に、収容判断に司法審査を導入するなどして、入管の強大な裁量を統制するよう求めます。
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►【共同声明】入管被収容者の死亡事件の政府調査報告書に対する抗議声明
(以下、全文)
入管被収容者の死亡事件の政府調査報告書に対する抗議声明
~そもそもウィシュマ氏の収容は「法」に則っていたのか~
2021年8月17日
恣意的拘禁ネットワーク(NAAD)
認定NPO法人ヒューマンライツ・ナウ
外国人人権法連絡会
第1 問題の所在(特に憲法及び国際人権法違反)
1 2021年8月10日、出入国在留管理庁は、同年3月6日に名古屋出入国在留管理局の収容施設に収容されていたスリランカ国籍の女性ウィシュマ・サンダマリ氏(以下、「ウィシュマ氏」)が死亡した事件(以下、「本件死亡事件」)について、調査報告書(以下、「本件調査報告書」)を公表した[1]。
本件調査報告書において、出入国在留管理庁は、改善策として、「全職員の意識改革」「被収容者の健康状態に関する情報を的確に把握・共有し、医療的対応を行うための組織体制の改革」「医療体制の強化」「被収容者の健康状態を踏まえた仮放免判断の適正化」「その他の改善策(情報提供窓口の設置等)」をあげている。
2 しかし、上記改善策が示すとおり、本件調査報告書は、退去強制令書が発付された者に対する原則収容主義を前提として、その中で健康状態悪化時の対応がどうあるべきであったかが検討の中心となっている(94頁)。しかし、そもそもウィシュマ氏の収容が、日本が従うべき「法」である憲法及び国際人権法[2]に則ったものかどうか、収容における強大な入管の裁量のあり方の検討は、全く抜け落ちている。したがって、本件調査報告書は、表面的かつ限定的な改善策の列挙に留まっていると言わざるを得ず、本件死亡事件の原因究明・再発防止の検討として全く不十分である[3]。また、本件調査報告書において、ウィシュマ氏の人間としての尊厳を傷付ける取扱いが多数認められ、被収容者に対する処遇の改善も不可欠であるにもかかわらず[4]、この点についての検討も不十分である。
先の入管法改正議論において、最大の焦点の一つとされた本件死亡事件について、このような不十分な検討しか行われず、問題の所在を入管収容施設の職員の意識、情報共有や医療体制などの処遇面に矮小化していることは、誠に遺憾であり、強く抗議する。
真の原因究明・再発防止のためには、処遇のあり方等に加えて、その前提となる収容のあり方、入管の強大な裁量判断の是非が問われなければならない。本声明では以下、特に収容に関する憲法及び国際人権法違反の点を詳述し、ウィシュマ氏の死亡は、人間を人間として扱わない、憲法及び国際人権法に反する恣意的な収容がもたらした結果であることを明らかにする。
第2 本報告書に基づく事実経過[5]
1 2020年8月19日、ウィシュマ氏は静岡県内の交番に自ら出頭し、オーバーステイにより現行犯逮捕された。そして同年8月21日、オーバーステイによる退去強制令書の執行を受け、死亡した2021年3月6日までの197日間、名古屋入管収容施設に収容された。
2 ウィシュマ氏に対する収容は、2020年8月21日以降死亡に至るまで、一度も司法審査を経ていない。ウィシュマ氏は、違反調査時に「恋人に家を追い出された」と説明し、遅くとも退去強制令書の執行時点で明確にDV被害を訴え、さらに2021年1月4日の1回目の仮放免申請時点においては仮放免後の住居や身元保証人も確保されていた。そして、入管内部で仮放免不許可と判断とされた同年2月15日時点において既にウィシュマ氏は、車椅子を使用し歩行困難な状態となっていた上、食事量が著しく減少し、嘔吐を繰り返すといった症状が出ており、健康状態が著しく悪化していた。
3 しかしながら、同年2月16日に仮放免不許可処分がなされたため、ウィシュマ氏は同年2月22日に2回目の仮放免申請を行ったものの、2回目の仮放免申請が検討されている間にウィシュマ氏は死亡した。なお、2回目の仮放免申請時点において、ウィシュマ氏は体重が収容時から20kg近く減少し、食事摂取や水分補給もままならず嘔吐が続く状態であり、外部病院での点滴治療を求めていた。
第3 ウィシュマ氏の収容が「法」に則ったものといえないこと、本件調査報告書はその点につき検討をしていないこと
1 身体の自由は、その者が日本国籍を有しているか否か、在留資格を有しているか否かにかかわらず、あらゆる自由の前提となる最も重要な人権の一つであり、最大限保障されなければならない。したがって、収容は最後の手段でなければならず、合理性、必要性、比例性の要素を欠く収容は、恣意的拘禁に該当し、自由権規約9条1項に違反する[6]。
他方、入管法52条5項は、退去強制令書が出されたことのみをもって無期限の収容を可能とし、合理性、必要性、比例性の要素を満たさない収容を認めるものである。また、司法審査の機会なく行われる拘禁は自由権規約9条4項に違反する恣意的拘禁となるが[7]、入管法52条5項は、収容の開始や継続にあたり司法審査の機会を提供していない。
2 ウィシュマ氏の収容についても、その開始時において、合理性、必要性、比例性の要素について検討がなされた形跡はなく、入管自身が定めた「DV事案に係る措置要領」にも反し、原則収容主義の下、漫然と収容が開始された。
また、ウィシュマ氏は、違反調査時に「恋人に家を追い出された」と説明し、遅くとも退去強制令書の執行時点で明確にDV被害を訴えて保護を求め、1回目の仮放免申請以降は、解放後の住居や身元保証人も確保され、当時の健康状態が悪化していた事実をも踏まえれば、逃亡の個別的蓋然性はなく、収容の合理性、必要性、比例性を欠くことがより一層明らかとなっていった。ところが、入管においては、法務省が憲法及び国際人権法を踏まえず独自に定めた基準にすぎない2018年2月28日付け通達(通達①)を重視して仮放免許可が適当でない類型に当たるとしたほか、「(新型コロナウイルス感染症対策としては)更に収容人員の抑制を図る必要は乏しい」という独自の現場判断を行い(86頁)、さらには「仮放免を許可すれば、ますます送還困難となる」「一度、仮放免を不許可にして立場を理解させ、強く帰国説得する必要あり」(58頁)と、ウィシュマ氏の心身に圧力をかけて帰国させようという意図をもって、仮放免を不許可とした。
一方、2回目の仮放免申請に対しては、本件調査報告書では入管が仮放免許可の方向で検討を進めていたとされているが、その理由としては、ウィシュマ氏の健康面よりも、介助に伴う職員の負担の増大が重視された形跡が認められる(60頁)。
このように本件でも、原則収容主義の下、法務省独自の仮放免基準や、収容人員を抑制する必要はないという現場判断、それどころか収容を帰国させるための圧力に用いようという意図など、「法」によらない恣意的な収容が行われたものである[8]。
3 しかるに本件調査報告書は、ウィシュマ氏に対する入管の収容判断について、憲法及び国際人権法に照らした検討を一切しないまま、ウィシュマ氏が死亡するまで収容を継続した入管の判断を是認している。
日本の入管収容が国際人権条約に反することは、これまで重ねて国連機関等から指摘されてきた[9]。昨年には、2名の収容が恣意的拘禁にあたるとの意見が国連恣意的拘禁作業部会から出されたが、日本政府は、それに対しても「事実誤認である」「収容は入管法に則っている」などと述べて、改善しようとしなかった[10]。本件死亡事故は、繰り返されてきた国際社会からの指摘に真摯に耳を傾けなかった結果とも言いうる。この点何ら顧みない本件調査報告書では、同様の死亡事故の再発を防ぐことは不可能である。
第4 結語
人間を人間として扱わないかのようなウィシュマ氏の施設内の処遇は衝撃的であり、「自由を奪われたすべての者は、人道的にかつ人間の固有の尊厳を尊重して、取り扱われる」とする自由権規約10条に明確に反し、収容施設内の処遇を改革することはもちろん必要である[11]。
しかし、より根本的な問題は、処遇の前提としての収容そのものが、強大な入管の裁量によって自由になされてしまうことである。本件におけるウィシュマ氏の収容は、そもそも「法」に則らない、自由権規約9条等に違反する恣意的拘禁であり、恣意的拘禁の状況下で本件死亡事件が発生したという全体像がある。また、本件死亡事件は、偶発的に生じたものではなく、一昨年の大村入管施設内におけるナイジェリア人男性の餓死を含む痛ましい被収容者の死亡事件が繰り返される中で生じたものであることが認識されなければならない。
これまでの死亡事件についても、入管は、今回と同様、決して収容の要件、入管が強大な裁量権を持つことに踏み込むことのない改善策を挙げるだけであった。本件調査報告書においては、改善策の冒頭に「全職員の意識改革」が挙げられている。しかし、退去強制事由該当者であれば自由を奪われるのは当然であるという、他の先進国ではおよそ見られない根本的に差別的な法制、及び、憲法・国際法を軽視する法務省・入管の組織としての姿勢を改めなければ、個々の職員の意識改革も不可能であろう。詐病ではないかと疑った職員の心理は、身体の解放を良しとしない、原則収容主義にこそ、その根源があり、制度的改革なくして個々の職員の意識改革はなしえない。
ウィシュマ氏の死亡事件は、入管の原則収容主義を改めると共に、収容判断に司法審査を導入するなどして、入管の強大な裁量を統制することが必須であることを明らかにした[12]。入管、ひいては国に、真に再発防止の意思があるのであれば、憲法及び国際人権法違反である、入管の強大な裁量による恣意的な収容という根本的な要因に向き合うことが不可欠である。
以上
[1] http://www.moj.go.jp/isa/content/001354107.pdf
[2] 憲法98条2項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定めている
[3] 本声明では直接問題としていないが、他の検証されるべき問題点として、そもそも本件調査は責任者以外非公表の入管職員のみで構成される調査チームによる内部調査であって、有識者は意見・指摘をするに留まること(1-2頁)、本件調査報告書がDV措置要領に基づく聴取がなされず、DVに関するB氏の聴取結果は極めて不十分である中、DV専門家不在の体制でDV被害者として扱う必要が無かったと結論づけている点や入管施設内及び外部病院医師の独立性の問題なども存在することには留意するべきである。
[4] ごく一例として、ウィシュマ氏がカフェオレを鼻から噴出した際の「鼻から牛乳や。」との発言(45頁)や死亡前日の衰弱しきった状態で「アロ…」といった声を発した際の「アロンアルファ?」との聞き返し(49頁)は、ウィシュマ氏の人間の尊厳を傷付ける取扱いである。
[5] 本声明では入管が認定した事実経過を前提とせざるを得ないが、当該事実認定の根拠や客観性は必ずしも明らかでなく(死亡時点において2回目の仮放免申請が仮放免許可方向で検討されていたとする点など)、当該事実認定の正確性については、なお検証を要する。
[6] 自由権規約第9条第1項は、「すべての者は、身体の自由及び安全についての権利を有する。何人も、恣意的に逮捕され又は抑留されない。何人も、法律で定める理由及び手続によらない限り、その自由を奪われない。」と定める。自由権規約委員会の一般意見により「抑留」には刑事拘禁のみならず、入管施設における収容も含まれる。
[7] 自由権規約第9条第4項は、「逮捕又は抑留によって自由を奪われた者は、裁判所がその抑留が合法的であるかどうかを遅滞なく決定すること及びその抑留が合法的でない場合にはその釈放を命ずることができるように、裁判所において手続をとる権利を有する。」と規定している。
[8] 「立場を理解させ、強く帰国説得する」ことを目的とし、ウィシュマ氏に対して仮放免を認めずに収容を継続したことは、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い(自由権規約7条、拷問等禁止条約16条)にも該当すると考えられよう。
[9] 自由権規約委員会 第6回日本定期報告審査にかかる総括所見(CCPR/C/JPN/CO/6)パラ19、拷問禁止委員会第 2 回定期報告についての総括所見(CAT/C/JPN/CO/2)パラ9、人種差別撤廃委員会 日本の第10回・第11回定期報告に関する総括所見(CERD/C/JPN/CO/10-11)パラ35, 36
[10] Deniz YenginとHeydar Safari Diman(日本)に関する意見58/2020(A/HRC/WGAD/2020/58)
[11] 改革に当たっては、国連被拘禁者処遇最低基準規則(マンデラルール)の遵守が求められる。
[12] 入管法改正案として仮放免以外に収容から解放する措置として「監理措置制度」の導入が含まれていたが、入管にその可否の裁量判断を任せているという点で、仮放免制度と同様に恣意的拘禁を防ぐ手段とはなりえないことは明白である。