2007/2/21 フィリピン(マニラ):
超法規的殺害が、フィリピンの市民社会と政治的対話をむしばんでいる、と現地訪問を終えた国連独立専門家(国連人権理事会特別報告者 フィリップ・アルストン教授 プレス・リリース)
“Extrajudicial killings have a corrosive effect on civil society and political discourse in the Philippines, says UN independent expert at the end of visit”
【仮訳:長瀬理英】
私は超法規的処刑の事象について調べるため、フィリピン政府の招きによってフィリピンに10 日間滞在した。私への多大な協力を惜しまなかった同政府に深謝したい。
滞在中には関係する政府高官のほとんど全てにお会いした。大統領をはじめ、官房長官、国家安全保障顧問、国防相、司法相、内務自治相、和平交渉担当相などである。また、様々な政党の国会議員多数、最高裁長官、フィリピン国軍参謀総長、国家人権委員会委員長、行政監査委員長、合同監視委員会*1 双方のメンバー、モロ民族解放戦線(MNLF)およびモロイスラーム解放戦線(MILF)の代表など。特に個別の関心事に関連しては、特別捜査班(タスクフォース・ウシッグ)とメロ委員会に会い、また、特別捜査班がとりまとめた書類一式、メロ委員会報告書とその所見に対する国軍(AFP)およびパルパラン退役少将による応答を受理した。バギオとダバオも訪問し、国家人権委員会の地方事務所、地元のフィリピン国家警察(PNP)およびAFP 司令官、ダバオ市長などにお会いした。
*1 訳註 フィリピン政府とフィリピン共産党(CPP)を代表する民族民主戦線(NDF)およびその軍事部門である新人民軍(NPA)との和平交渉で(現在は中断)、双方の人権侵害と国際人道法違反の申し立てを調査するために設置された。
等しく重要なこととして、マニラ、バギオ、ダバオの市民社会代表との面談におよそ半分の時間を費やした。文書や詳細な証言の形でとても重要な寄与があり、これらから多くを学んだ。 いくつかの重要な事実を認めることから始めよう。まず、フィリピン政府による招請は問題の重大性に対する明確な認識、外部の調査を許可する意志、本件に取り組む準備が整っていることを反映している。特に、大統領から得た保証は、非常に励まされるものであった。
次に、私の訪問の背景には様々な戦線で行われている反乱鎮圧作戦があることに留意しており、政府やAFP が直面している課題を決して過小評価しているものではない。さらに、私の公式的な役割は国連人権理事会とフィリピン政府への報告書提出であることを明確にしておきたい。この訪問自体が、国内および国際社会の両方においてこれらの課題に関する考えを深めるための触媒として作用するプロセスの端緒であったと考える。最後に、このステートメントの目的は、最終報告書で取り組むべき課題と勧告のすべてではなく、いくつかのみについて全般的方向性を示すことにあることを強調しておきたい。最終報告書は3 ヵ月以内に公表されるであろう。
【情報源】
私の任務における最初の主要課題は、詳細かつ十分な裏付けのある情報を入手することであった。私に提供された情報の質と量に驚いた。大半の主要政府機関では、データ収集・分類の多くが組織的かつ体系的である。同様に、フィリピン市民社会組織も一般に、洗練され専門的である。あらゆる層の政治勢力との面談を求めたところ、それは実現した。私は、最終報告書作成のために処理すべき情報をたくさん抱えてフィリピンを離れる。
しかし、すべての、あるいは少なくとも一定の地元NGO から得た情報が信頼できるかどうかという問題が依然として残っている。面談者の多くが、「プロパガンダ」という言葉を用いた。私の解釈するところでは、超法規的処刑の問題を喚起する当該集団の最重要目標が世論と権力に向けた広範な闘争において政治的利点を得ることにあり、人権の側面はせいぜいのところ次善でしかないということを意味する。中には、事件の多くは実際よりも深刻にみせるためにでっち上げられたか、あるいは少なくとも捏造されたと示唆する者もいた。 私は、これらの懸念に対して即座に答えることが不可欠であると考える。
まず、こうした申し立てにプロパガンダの要素が伴うのは不可避である。その目的は、人々の共感を得ること、また、他のアクターの信用を落とすことにある。しかし、プロパガンダの側面が存在しても、それ自体により情報や申し立ての信用が失墜するわけではない。それよりも、信用性に関するテストをいくつか受ける必要性を主張したい。
まず、これらを申し立てているのは政治勢力の一部に帰属するNGOだけか?
答えは明らかに「いいえ」である。フィリピンの人権団体は政治的共感という点で政治勢力の端から端まで多岐にわたるが、正確な数字にこそ異論があれ、多数の超法規的処刑が起こっている基本的事実を否定しようとする団体には出会わなかった。
次に、提示されている実際の情報にはどれくらい説得力があるのか?
私の見たところ、かなりのバラツキがあり、まったく信用ができて文脈が通じているものから、表面的で胡散臭いものまで様々であった。しかし大多数はこうしたバラツキの下端というよりは上端に近かった。
さらに、情報は「反対尋問」によって信用性が高いと判明したか?
私と同僚は多数のケースについて詳細に話を聞き、その正確さとより大きな文脈を確かめるために提示された話について厳密に調べた。国内の主要調査のどれよりも入手したデータははるかに多く、膨大な量を収集したと考えている。 (関心の範囲) 私の関心は、政治的殺害とメディア関係者の殺害を扱った特別捜査班やメロ委員会の範囲をかなり超えている。個別の殺害は多くの点で、はるかに大きな問題の徴候であり、焦点が人為的に狭められることを許すべきではない。
特別捜査班/メロ委員会の調査範囲は次のいくつかの理由により不適切であった。
- (a)アプローチは本質的にリアクティブ(反応的)である。フィリピン全体で何が起こっているかについての独自の評価ではなく、限られた範囲のCSO が報告しているものに基づいている。結果として、焦点が往々にしてCSO の方向付け、個別ケースの文書の性質などへと(助けにならないものの)移っていることが往々にしてある。
- (b)報告されていないか、捜査されていない殺害が数多く存在する。これにはもっともな理由がある。
- (c)「失踪」が認められているケースでは、かなりの割合において殺害されているにもかかわらず数字上には出てこない個人が含まれている。 (殺害された人数) 数字のゲームは際限のない関心を集めるが、とりわけ非生産的なものである。25、100、800?私には分からない。しかし、心を痛めるほどの大きな数字であることは確かである。もっと重要なことは、数が重きをなすわけではないことである。申し立てられているような種類の殺害が少数起こってさえ、その影響は多岐にわたって波及する。膨大な数の市民社会のアクターを脅迫し、また、有力なコネのある人々は例外として無防備であるというメッセージを送り、そしてフィリピンが直面している問題を解決するうえで柱となる政治的言説を酷く損なう。役人が使う「原因不明の殺害」という言葉は、不適切で誤解を生じさせるものだと思う。司法プロセスでは適切なのかもしれないが、人権調査はもっと幅が広いものであり、裁判所が有罪判決を出すのを待ってから人権侵害が起こっていると結論づける必要はない。「超法規的処刑」という言葉の由来には連綿とした背景があり、はるかに正確なので、これを使うべきである。
【殺害の類型化】
フィリピンで特に関心を集めている殺害の種類を特定することが有用であろう。
- 反乱鎮圧中の国軍・警察による殺害、あるいはNPAその他の集団による殺害。このような殺害が国際人道法の規則に従って生じている限りは、私のマンデートの対象外である。
- 戦闘中におけるものではないが、戦場での個別的な反乱鎮圧作戦実施中における殺害。
- 左翼集団に関係し、CPP-NPA-NDF を秘密裏に支援していると通常みなされているか、仮定されている活動家の殺害。その責任は国軍、警察、あるいは民間アクターに帰せられる。民間アクターには、政治家、地主、企業関係者その他に雇われた殺し屋が含まれる。
- 自警団あるいは暗殺部隊による殺害。・ジャーナリストやメディア関係者の殺害。
- 不処罰の意識により助長される「よくある」殺害。
【政府の対応】
超法規的処刑の危機に対する政府の対応には大きなバラツキがある。最高首脳は問題の深刻さを認識している。行政府レベルのメッセージは大きく分かれており、不満を呈することがしばしばであった。実施レベルでは、申し立てに対して憤慨の入り混じった疑義が向けられることが非常に多かった。
【殺害に関するいくつかの説明】
殺害の説明を求めたところ、次のような回答が返ってきた。
- (i)申し立ては本質的にプロパガンダであるというもの。この側面については既に述べた。
- (ii)申し立てはでっち上げであるというもの。殺害されたとしてリストに含まれたが、実際には生きていることが示された2 名が重大だと強調された。2 つの誤りは、それを部分的に説明する状況において、残りの膨大な数の申し立ての信用性を失わせることはほとんどない。
- (iii)最近の殺害の増加を説明する「当を得た、正確で、本当の」理由はCPP/NPA による粛清にあるという説。この説は、AFP や私が面談した政府関係者の多くが執拗に主張していた。しかし国軍が引用した1,227という数字*2と、CPP/NPA が認め実際に誇示している限られた数の殺害ケースとを区別しなければならない。このようなケースが生じたのは確かだが、これらについて最も懸念している人々-アクバヤン*3のメンバーなど-さえも、殺害総数の10%にも達していないと示唆した。この見方を裏付けるために国軍が提示した証拠は特に説得力を持たない。人権団体はそうしたケースをほとんど記録していない。AFP は1980 年代後半の粛清に関する数字や傾向、そして2006 年5 月に押収された「ブッシュ・ファイヤー作戦(Operation Bushfire)」を述べたCPP/NPA 文書と言われるものに依存している。もっと強力な裏付け証拠を欠いており、この特別な文書はでっち上げの特徴を顕著に示し、偽情報以外の証拠とは見なすことができない。
*2 訳註 国軍が主張しているNPA による殺害者数(AFP 及びPNP384 名、文民843 名)。
*3 訳註 パーティ・リスト政党(訳註4を参照)の一つ。CPP の基本原則を拒否し、分裂した人々の中から設立された。
- (iv)どれだけかの殺害はAFP に責任が帰せられるかもしれないが、それらはならず者分子の犯行というもの。こうした殺害のどれだけかが行われたことはほとんど疑いようがない。AFP は正確な詳細を明らかにし、どのような捜査と起訴によって対処してきたのかを示す必要がある。しかし、とにかく、ならず者分子犯行説は説明にはなっていなし、私たちが関心を持っている中核的な疑問にさえ答えようとするものではない。
【今後の主要課題のいくつか】
- (a) AFP による認知 AFP は(メロ委員会報告書への公式な反応がまさしく示しているように)、AFP に責任があると確認されたかなりの数の殺害に対し効果的かつ誠実に対応する必要性についてほとんど全否定の立場を変えていない。大統領は国軍に対し、事実を認め、捜査のための真の手順を踏むことで、国軍の評判や有効性を損なうというよりは大きく高めるよう説得する必要がある。パルパラン少将への根強く広範にわたる申し立てはまったく根拠のないものであるとの確信を得るため、国軍参謀総長は同少将に3 回電話することに安んじ、徹底的な内部調査を始めることはなかった。前途遼遠である。
- (b)メロ委員会を超えて進むことメロ報告書を評価するのは私ではない。フィリピンの人民である。大統領は、独立委員会を設置することで申し立てへの対応に誠実であった。しかし、それに伴ったであろう政治的・その他の蓄えは、報告書の公表を拒否することでゆっくりと、しかし着実に尽きているところである。拒否を正当化しようとした理由は納得のいくものではない。決して予備的報告書あるいは中間報告書を意図したものではなかった。「左翼」に証言させる必要性は、彼(女)らの主張を少なくともある点で擁護している報告書を差し控える理由にはならない。メンバー構成が理由で十分な協力を得られなかった委員会を延長しても、左翼グループが依然として感じている問題を克服する見込みはないように見受けられる。メロ委員会報告書の即時公表は欠かすことのできない第一歩である。
- (c)アカウンタビリティ(説明/応答責任)を回復する必要性―特別捜査班とメロ委員会の焦点では不十分である。恒常的に続くより大きな課題は、フィリピン憲法や議会がこれまで構築してきた様々なアカウンタビリティ・メカニズムを回復することである。こうしたメカニズムの余りにも多くが近年になって、体系的に衰退してきた。最終報告書で詳らかにするが、本ステートメントの目的に照らせば次の点を指摘することで十分である。すなわち、大統領令464 号およびこれに代わる通達108 号は、議会が政府高官に対し意味のある方法で応答責任を果たさせる能力をかなり損なっている。
- (d)証人保護司法制度の多くの有効性を損なっている死活的に重要な欠陥は、不処罰が実質的に蔓延しているという問題である。不処罰といえば、証人の脆弱な立場という問題がはびこっていることに起因する。証人に対する現在のメッセージは、余命を全うしようと思うならば殺害の刑事訴追で証人になるな、というものである。証人は組織的に脅迫や嫌がらせを受けている。相対的に貧しい社会では、地域社会への依存度が大きく、実際の地理的移動性が非常に限られており、殺害の責めを負う勢力が安全確保に責任を負っている人々、あるいは彼(女)らに繋がっている人々であることがあまりにも多すぎる。こうした場合、証人の脆弱な立場は他と比べようもない。紙の上では、WPP(証人保護プログラム)から感銘を受ける。しかし実際は、大きな欠陥があり、非常に限られた数のケースでしか実効性がないように見受けられる。ある専門家が示唆してくれたように、こうした結果、確固としたケース10 件のうちの8 件、すなわち80%が初動捜査から実際の起訴段階にまで至ることができないのである。
- (e)左翼グループに対し正当な政治的スペースを与える必要性の容認国家レベルでは、ラモス元大統領の和解戦略の放棄が決定的となっている。これは「シン・フェイン」戦略と呼ばれるかもしれないが、左翼グループが民主政治システムに参入する途(=パーティ・リスト制)*4を拓きながら、同時にその中には非合法集団(アイルランド人の場合はIRA で、フィリピン人の場合はNPA)により行われている武装闘争に対し非常に好意的なままのグループがあることを認めている。この戦略の目標は、こうしたグループが主流政治に参入し、この途が最善の選択であると判断するインセンティブを与えることである。パーティ・リスト制も、反国家転覆法の放棄も、議会によって反故にされてはいない。しかし、行政府は国軍の支援を公然かつ熱心に受けながら、パーティ・リスト政党の活動を妨害し、自由に活動する権利を疑問に付そうと試みることで、こうした議会決議の精神をないがしろにしようとしてきた。この考え方は、NPA を打倒するというのではなく、その目標の多くを支持し、その手段と積極的に絶縁しない組織を排除しようとするものである。これは概念上では非暴力的だが、法的プロセスによっては手出しのできない人々を超法規的に処刑する決定にまで行き過ぎた場合が、地方レベルでは確実に存在した。
*4 訳註 下院の20%の議席数が様々な少数グループを代表する政党に割り当てられる。比例代表制により、各党最大3議席まで獲得できる。
- (f)反乱鎮圧戦略における問題のある側面の再評価近年の超法規的処刑の増加は、少なくとも部分的には、いくつかの地域で生じた反乱鎮圧戦略の転換に帰すことができる。これは特に文民に関して用いられる戦略にはかなりの地域的バラツキがあることを反映している。どれだけかの地域では、人心掌握の訴えは左翼組織を中傷し、こうした組織のリーダーを脅迫しようとする試みと結びついている。ある場合には、こうした脅迫が超法規的処刑へとエスカレートする。これは重大かつ深刻な問題であり、最終報告書では詳細に検討しようと思う。
【結論】
フィリピンは、民衆革命により戒厳令を平和裏に終わらせたこと、そして人権の尊重を保障するための力強いコミットメントを反映する憲法を採択したことで、私たち皆の見本となっている。メロ委員会報告書を受けて大統領により命じられた様々な施策は重要な最初の一歩となるが、為さなければならないことは山積している。
(出典) “Extrajudicial killings have a corrosive effect on civil society and political discourse in the Philippines, says UN independent expert at the end of visit” http://www.unhchr.ch/huricane/huricane.nsf/0/7B6094F7150CDC99C125728A003B12B1?opendocument__