【イベント】5/12「クメール・ルージュ法廷」開催報告2

5/12「クメール・ルージュ法廷・裁判傍聴レポート」報告書


 

去る512日夜、法律事務所フロンティアローにおいて、在カンボジアのフリーランス記者である木村文氏をお迎えし、「クメール・ルージュ法廷(KRT)裁判傍聴レポート」が催されました。KRTは、ポル・ポト政権期に起こった大規模な重大人権侵害について、その責任者を処罰するために2004年に設置された国連の関与する混合法廷です。そのケース1と呼ばれる被告人カン・ケック・イウ(通称ドゥイ)の公判が先日結審したので、その総括をする趣旨でした。

報告会では、まず山本晋平(HRN)が、KRTの仕組みと、予算人材不足や司法の独立など裁判所が現在直面している問題点について解説しました。その後、ケース177回に及ぶ公判を傍聴した木村氏より、公判での被告人や証人の様子が紹介されました。

ドゥイはS21と呼ばれる政治犯収容所の元所長で、公訴事実もS21で行ったとされる殺人、拷問、人道に対する罪、戦争犯罪が中心でした。その裁判は、2009217日に初公判があり200911月に結審したのですが、連日、約300人の収容能力がある傍聴席は全て埋まっている状況で、のべ約27700人がケース1を傍聴したことになります。この数字はカンボジア人のKRTに対する関心の高さを表すと同時に、裁判所側の工夫によるところもあったようです。裁判所は、地方都市からプノンペンへ無料で送迎バスを運行し、KRT傍聴のためのツアーを実施しました。現地には公共交通機関が乏しく、交通費だけでも一般人にとっては大きな負担になるため、このツアーは非常に人気を博しました。さらに裁判の一部はテレビでも中継されました。そのような中で、KRTに対する若い世代の関心の高まりが感じられると木村氏は言います。70年代当時の時代が語り継がれる場として、同時に若者が当時の時代を知る場所として、KRTは機能していると評価しました。

木村氏の話は、公判で何が語られたか、具体的な証言にも及びました。被害者として当事者参加した22人のうちの一人であるブ・ミンさん(68歳)は、S21の拷問部屋で棒で叩かれて拷問されたときの様子を生々しく語りました。また、逮捕された瞬間から目隠しをされ、一切の身動きを禁じられたライ・チャンさん(55歳)は、自分が何処にいるのかも分からないまま、S21だと本人が主張する施設で拘束されました。十分な水も与えられず、「喉が渇いてどうしようもなくなったときは…、そういうときは…。自分の、自分の尿を…飲みました」と何度も言葉を詰まらせながら証言しているのを聞いた時、木村氏は、なぜこのような普通の人が、テレビで生中継されている大勢の前で、知られたくない過去を自らの口で語らなくてはいけないのだろうか、30年前の重荷をもう一度背負わなくてはならないのか、という思いを強く感じたそうです。

でも木村氏はその後、ライ・チャンさんの変わっていく姿も見ました。言葉を詰まらせる被害者に対して、裁判長が「貴方が、貴方の家族が拷問でどのような苦しみを味わってきたのか、我々に、傍聴している全ての人に、カンボジアの人々に、国際社会に、ポル・ポト政権が何をしたのか話してください。貴方はこの時を待っていたと言った。どうぞ悲しみに流されることなく語ってください」等と暖かい言葉を掛け、それを聞いた被害者が勇気づけられ、心を強くして次の証言をしていくという場面があったのです。その場面を目撃して、被害者や傍聴するカンボジアの人々は、辛い思いでも過去と向き合うことで、未来に進もうとしているのではないかと、被害者が法廷で証言する意義を木村氏は体感したようでした。

次に証言台に立ったのは、元尋問官のモン・ナイさん(79歳)でした。彼は、教員養成学校のエリートでしたが、S21では尋問官のリーダーだったとみられています。しかし彼は、ほとんどの質問に「知らない」または沈黙でしか答えませんでした。その理由について、何も知らないことがカンプチア共産党の指針に合っていた、「他人のことを気にしてはいけなかった」と言いました。

そのようなモン・ナイさんの態度に対して、なぜか被告人のドゥイが説教をしました。「私たちは、国際社会に真実を伝える義務があるのだ」と。モン・ナイさんは最後にぽつりと言いました。「とても残念です。多くの家族や知人が死んでしまって悲しい。私たちにはどうすることもできなかった。たくさんの人が死んでしまった」。

結局、このモン・ナイさんの証言からは新事実は判明しませんでした。実際、モン・ナイさんの証言に限らず、他の証言によっても、当時は大量に拷問や殺人が行われていたため、傍聴に来ていた遺族が一番知りたいにもかかわらず、11人の被害者がどのように死んだのか具体的な状況は裁判をやっても明らかになりませんでした。それでも裁判長は、「来てくれて有難うございました」とモン・ナイさんを労いました。これを聞いた木村氏は、遺族の悲しみは裁判では終わらないと感じると共に、「加害者」である証人は閉じていた心を外に出すことが出来たのではないか、これこそが加害者と被害者が混じって共存している今のカンボジアの現地でKRTを開催する意味なのかもしれないとコメントしました。

証言から学ぶことは他にもあると木村氏は言います。つまり、ポル・ポト政権時代を、アジアの一国の一つの異常な時代だと考えるのは間違っているのではないか。「知らない」「分からない」「他人に問うてはいけない」といった無関心。それが蔓延した「究極の無関心」の状況で何が起こるのか。言われたことしかやらない、自分のことしか考えない、そんな社会になってしまう。それを語っているのがモン・ナイさんなどの証人やキリングフィールド、S21であり、KRTではないか。それは今の時代にも当てはまることで、私たちはポル・ポト時代から遠い社会に生きているわけではない、ポル・ポト時代は「特異」ではない。木村氏がKRT傍聴を通じて一番強く感じたのは、そのようなポル・ポト時代と現代との「連続性」だったようです。