ジュネーブ国連人権小委員会、HRN事務局北村弁護士のレポート②

前回に引き続き、国連人権小委員会第二週目のご報告です。

★”転換期”における開催、その問題点。
まずはこの2週間の全体的な感想として、今回の小委員会の最も特徴的な点を指摘したいと思います。
前回の記事でも書きましたように、今年の小委員会は、予定されていた開催日のわずか4ヶ月前に上部機関(人権委員会)が廃止されたため、そもそも開催されるか否か?開催されるとしてそれはいつか?という根本的な問題が、何とわずか1ヶ月前まで誰にも分かりませんでした。
このことによる影響は、小委員会開催中にも様々なかたちで現れています。
まず、NGOの出席が例年に比べて極端に少ない。人権小委員会では、NGOが、各議題ごとに、人権侵害状況の訴えや小委員会に対する提案などについて発言することができます。例年ですと、一つの議題について100くらいのNGOが名乗りを挙げるところ、今年は多くて10、少ないときは2、といった感じで、NGOからの発言数が極端に少ないのです。その理由は大きく分けて二つあって、まずは、開催日程が決まったのが直前(しかも夏休み期間)だったため、調整や手配が間に合わずに欠席したというケース。次に、終わりゆく機関に出席して何か訴えたところで、その訴えがその後どう扱われるの分からないという不信感、あるいはどうせ今回は手続論に終止して各種人権課題に関する議論は行われないだろうというあきらめ感から、出席する意義を見い出せずに欠席したというケースです。
次に、委員によるワーキング・ペーパーや報告書(以下「報告書」と言います)の提出率が悪い。人権小委員会では、各人権課題ごとに、選任された委員が調査研究に従事し、その成果を報告書の形で提出、小委員会の場でその内容を議論し、さらにその議論を踏まえた改訂版を次年度に提出、といった作業を繰り返しています。このような過程で何度か改訂を経た報告書は、原則として最終的には国連の正式文書となります。が、今年はこの報告書の提出率が悪い、提出したとしても開催直前になってしまったため、配布が間に合わないといった事態が続出しています。委員にしてみれば、3月に人権委員会が廃止された時点で人権小委員会の存続も怪しくなった、つまり場合によっては作業が無駄になる可能性が出てきた以上、5月末が提出期限と言われていても、この時点ではとりあえず状況を見守らざるを得ない。が、6月30日になって、1ヶ月後に最後の人権小委員会が開催されることが決まったので、その後あわてて報告書作成にラストスパートを掛けることになった、そのため軒並みギリギリの提出になった、という訳です。
これに関連して、往々にして報告書の配布が、議論の前日、ひどいときは当日になってしまった(委員の名誉のために付け足すと、数週間前に提出していても翻訳その他の作業により配布可能な状態になるのには時間がかかる)、さらに配布されたのは良いが、翻訳が間に合わずフランス語バージョンしかなかった、という事態も発生しました。こうなると、その報告書について充実した議論をすることは難しくなってしまいます。
というわけで今回の小委員会の最大の特徴は、「転換期に伴う不確実性が、各種人権課題に対する実質的かつ充実した議論を妨げている。」という点にあると言えるでしょう。とにかく、議論の中で”uncertainty(不確実性)”という言葉をもう何十回、何百回聞いたかなぁという感じです。
このように、国連改革が逆に”足かせ”になって人権小委員会が上手く機能できない今この瞬間にも、世界中の様々な場所で一刻も早く救済しなければならない人権侵害が起こっていることを考えると、委員メンバーやNGOは、皆、歯がゆい思いでいる、というのが実態であり、「転換期に対する検討をきちんとしないままに、人権委員会を人権理事会に改変するという結論だけ先に出してしまった今回の改革は、明らかに勇み足だった。」と指摘する声には同感せざるを得ません。

★小委員会の今後に関する議論
 前回の記事にも書きましたように、今回の議題の一つに、「人権小委員会の今後に関して、人権理事会に対する提案を検討する」というものがあります。但し、第二週に行われたこの議題に関するセッションはいずれも非公開審議の形で行われたので、アシスタントと言えどもその中身を知ることは出来ません。
現時点で言えることは、具体的な提案内容は、世界の5つの地域の出身者からなる5名の代表メンバーにより起草されており、その5名に対して他の委員が非公開審議で様々な意見を述べているようであること、そして提案の中身は、小委員会に類似した形の専門家組織の存続を求める方向であろうということぐらいです。個人的に興味がある「専門家委員の各国政府からの独立性」という問題については、これ、本当に独立させようと思ったら、現在のように、政府からの推薦といった過程を経ずに、純粋に「人権専門家かどうか」という基準だけで選定すべきという話になるのですが、おそらくそういう方向にはならないだろうと推測します。というのは、NGOからの信任も厚い今回の会議の議長(ベルギー出身の委員)がNGOに対して、「どこから来たか分からない専門家から成る組織の意見よりも、自分たちが選んだメンバーから成る組織が述べる意見の方が、政府に対しては説得力を持つ。」と述べていたからです。まあそれも一理あるなとは思いますが、そうは言っても、選定過程に政府が関与することによる、委員に対する政府の影響力の排除のための何らかの方策は講じられるべきではないかと思います。

★その他、各人権課題に関する議論
 小委員会では、毎年ものすごい数の人権課題について議論しています。当然全ては書ききれませんので、私が個人的に印象に残ったテーマや議論についてのみ簡単にご報告します。
 【Right to water(水の権利)】
 これはもう名前から結構な衝撃でした。日本で生まれ育った私にとって、水は蛇口をひねれば出てくるものであって、それを権利として意識すらしていなかったからです。しかし、極度の貧困に苦しむ国では、権利として改めて提起しなければ、命の源である水にすらアクセスできない人々が大勢いるのだという事実を、恥ずかしながら改めて思い知らされました。
このような事態は、もともと当該国の水資源が乏しいために起こるだけではありません。例えば、それまで人々が普通に水を汲みに行っていた水源が、ある日突然、多国籍企業(エビアンやコカコーラ社など)により買収され、「これからは、うちのペットボトルを買って飲んで下さい。」と言われてしまう。しかし極度の貧困に苦しむ彼らにペットボトルを買うお金などない。・・・このような理由で起こることもあります。したがって、国家だけではなく、多国籍企業も巻き込んだ規制を講じる必要があります。
 一方で、水を飲む権利など(少なくとも国家との関係では)社会権の一部として当然に保障されるはずで、今なぜ改めてright to waterなどと独立した名前を付けて議論しているのか?といいますと、「人々が水を飲めない」という状況が、これまで往々にして「経済政策の問題」あるいは「人道問題」で片付けられてしまって、なかなか「国家による人権侵害」としては捉えられてこなかったという背景があります。政策問題や人道問題にされてしまうと、その国の努力で頑張るか、善意による支援に頼るほかなく、迅速かつ実効的な解決が期待できない。したがって小委員会では、「人々が水が飲めない状況を放置することはあくまで人権侵害なんですよ。人権侵害である以上、国家には一刻も早くそれを止める責任があるんですよ。もしその国家に、国民に十分な水を与るだけの資源がないのであれば、国際社会に協力を求める義務があるんですよ。協力を求められた国際社会は、それに答える義務があるんですよ。」というルールを策定し、国際社会に提案しようとしています。
ちなみにもちろんこれは水の問題だけではなく、食糧、住居など経済社会権全般に当てはまる問題として議論されています。

【少数者とは?民族自決権とは?】
 人権小委員会の中には、少数者に関する作業部会(Working Group on Minorities)、先住民族に関する作業部会(Working Group on the Indigenous Populations)という、小委員会よりも小規模な専門部会があります。
 これら二つの作業部会からの報告の中で、共通して話題にあがっていたのが、「定義」の問題でした。多くの人権課題において、定義というものは出発点でありながら、最後まで決着が付かない難問でもあります。
 具体的には、まず「少数者(minorities)に、移民や難民のようなニュー・カマーが含まれるか?」という議論があります。私などは単純に、数が少数だったら少数者なんじゃないの?と思ってしまうのですが、そうやって少数者の定義を広げていくと、国家側の拒絶反応が強まり、結局のところ保護規定が守られなくなってしまう、だから「少数者」の定義は国家側にも受け入れられやすい程度に絞られる必要があり、移民や難民の場合は、ある程度(二世代など)当該国に居住しない限り少数者には含まれないことにすべきでは、といった議論があるのです。
 次に、「先住民は、indigenous “populations”か、indigenous “peoples”か?」という問題があります。作業部会の名称ではpopulationsという用語を用いていますが、先住民族側は自らをindigenous peoplesと呼ぶ場合が多いようです。その違いは、peoples=人民という用語が、国際法上、国家を形成しうる主体として認識される。つまり彼らをindigenous peoples(先住人民)と呼ぶことは、彼らが国家としての独立する余地を、少なくとも用語上は認めることになる、という訳です。そしてこの点について特に強い警戒心を示していたのがアフリカ出身の2名の委員で、「先住民の自決権(self-determination)には、国家からの独立を訴える権利が含まれないことを明確にすべきだ。彼らはあくまで国家に帰属し、国家の経済的社会的文化的発展に寄与する義務がある。」と口をそろえて強調していたのが印象的でした。背景には、アフリカは無数の先住民で構成されており、彼らが独立を訴え始めたら紛争が多発して社会が大混乱してしまう、という事情があります。

★そして最終週へ
各論に全くまとまりがなくて恐縮ですが、とりあえず長くなったので今回はここら辺で筆(タイピング)を止めます。
 最終週は、恐ろしい勢いで、恐ろしい数の決議や勧告が採択されていくらしく、追いついていけるか不安ですが、一方で、国連のホームページにはタイムリーな更新を期待してはならないとも言われております。ということで、このご時世、国連ではなお「紙を入手する」ことが大事。
とりあえず採択された決議・勧告を、取りこぼしのないよう必死にかき集めて日本に持って帰りたいと思います。

 

 

(HRN事務局 弁護士北村聡子)