このたび、10月18日に東京大学において、東京大学「人間の安全保障」プログラムとの共催シンポジウムとして、『今そこにある危機 ダルフール・ジェノサイドに何ができるか(Genocide in Darfur: It is our responsibility)』を開催しました。スーダン西部のダルフール地方において繰り広げられるはなはだしい人道危機、そして現在も続く不安定で危険な状態の改善を願い、スーダン国会議員であり世界的に著名な弁護士でもあるSalih Osman氏をはじめとする様々な立場での「アフリカのベテラン」をお招きし、ダルフールで何が起きているのか、その解決のために私たちには何ができるのか、を主軸に活発な議論が行われました。
今そこにある危機
~ダルフール・ジェノサイドに何ができるか
Genocide in
≪基調講演:木寺 昌人≫
まず会場に対し、「日本は大きい国かそれとも小さい国か」、そして「日本は良い国か悪い国か」と2つの質問を投げかけられた木寺氏。GDPや他国のメディアの評価を例に、日本は世界でも大きい国と見られ、またそれだけの貢献をしているとの自覚、プライドをもってほしいと訴えられました。
そしてアフリカ支援については、日本がアフリカ目線での支援を続けてきたことを紹介する一方で、国連で5,60億ドル、日本も10億ドルが紛争解決に使われている現状を紹介し、解決方策見直しのための紛争地域にいる人々に対する共感の必要性、アフリカの人々へは解決のための覚悟の重要性を述べられました。
≪基調講演:サリー・オスマン Salih Osman≫
オスマン氏は「アフリカの悲劇」としてスーダンの現状を説明くださいました。現在、400万人が直接の被害者となり、300万人が難民キャンプで難民生活を強いられています。国を追われた人々は帰還できず、ICCの逮捕状が出されてからは、3000万人の命が危険にさらされています。和平協議も難航を続けているとのことです。
また現地をよく知るオスマン氏は、ダルフールの人々の第一の望みを伝えられました。物資支援?平和と安全保障?オスマン氏はこれらの重要性を認めつつも否定しました。彼らが望んでいるのは、まず「帰還すること」だと。そして、そのための「状況改善のための短期プログラム」だと。そうして私たち支援者にとって盲点となりやすい、物資支援が難民キャンプから故郷への帰還を妨げる危険性を示され、短期プログラムのためのアイデア拠出やモニター役としての市民社会の働きの重要性を訴えられました。
さらにダルフールの人々に必要なものとして「説明責任と正義の実現」をあげられました。すなわち犯罪抑制、防止のためにしかるべき処置を施すことで、これまでの歴史・文化を変えることが重要だと強調されました。
オスマン氏の伝える現地の声に、会場からは深い感動を伴う拍手が巻き起こりました。
≪後半 パネルディスカッション≫
司会
*伊藤 和子(弁護士、ヒューマンライツ・ナウ事務局長)
パネリスト
*佐藤 啓太郎(外務省アフリカ紛争・難民問題担当大使兼国連改革担当大使)
*土井 香苗(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)
*ヨハン・セルスJohan Cels(UNHCR駐日代表)
*福井 美穂(難民を助ける会)
コメンテーター
*サリー・オスマンSalih Osman(弁護士、スーダン国会議員)
*栗田禎子(千葉大学教授)
HRNの伊藤和子氏を先導役として、まず4人のパネリストより主に各々の立場からスーダンの現状説明がありました。ダルフール紛争が現在も進行中であることを前提に、その問題の深刻さが周辺国の難民流入問題、和平交渉の難航、ICCのバシール大統領逮捕状発行後の支援団体撤退による人道危機などとして示されました。
和平交渉について、オスマン氏はアブジャで行われた当事者間のみでの和平合意の失敗を例に国際社会の協力を訴え、他の分裂している反政府組織のみならず様々なステークホルダーを取り込んだ形での解決の協力を求めました。
日本の関わりとしては、佐藤氏から経済支援を基礎に行われているスーダンでの協力の紹介が、福井氏からダルフールへの直接支援への働きかけという新たな可能性の提示がありました。一方、栗田氏よりアフリカへの平和構築を名目とする日本政府の実績作りは、はては憲法9条改正支援の流れの形成へ至るとの危惧が示されました。
ICCに関しては、オスマン氏がスーダン国内の裁判制度の不十分性を理由に国際的な司法処理の必要性を訴えました。しかしその一方で、性犯罪をはじめとする戦争犯罪の証拠確保の難しさを考慮しない現在の国際司法制度に対し、ジェノサイドや戦争犯罪に関する法律整備の不十分性を指摘しました。
これに続き、土井氏は「法の正義と法的責任追及」の重要性を説き、今回の逮捕状を大統領という国のトップであっても国の責任は放置しないというクリアなメッセージとしての意義があると評価しました。
また、協力の形として佐藤氏よりオーナーシップ(自助努力)とパートナーシップの重要性が説かれましたが、今回のシンポジウムでは特にオーナーシップが議論の中心としてとりあげられました。
オスマン氏や栗田氏からは、スーダン人自身のイニシアティブに対する指摘がありました。特に今後状況を左右するとして注目されている選挙の実施については、栗田氏より28政党が現在の制限的な法の改正をたてに参加を拒否しているとの紹介がありました。また検閲に表れる言論の自由の制限も改善に向かうなか、スーダン国内の市民社会の動きへの注目しつつ、協力方法の模索が必要と指摘されました。
※予定時間を大きく超過するほど議論が白熱するなか、会場の参加者から複数の意見・質問がとりあげられ、一層の盛り上がりを見せました。
紛争の根本的原因として、佐藤氏は武器や利益団体の存在を前提に、1800年代の干ばつの際の牧畜業を営むアラブ系民族と農業を営むアフリカ系民族のトラブルと伝統文化の変容を紹介しました。オスマン氏も民族的問題が最も大きいとして、スーダンの石油問題と中国の関与をダルフール紛争と結びつけることを否定しています。
また、会場のスーダン出身者から指摘があった、人権擁護のアピールが人権保護の名のもとに当事国批判になるという点においては、土井氏やオスマン氏などにより次の犠牲防止のために必要なステップとして強調された反面、人権保護活動の一側面として重要とされました。
そして最後には、遠藤貢教授から様々な立場からの意見交換の重要性と、スーダン国内外からのイニシアティブの1つとして今後の日本の在り方の認識にもつながる市民社会の活動の重要性が訴えられ、閉会となりました。
※会場内では閉会後も興奮冷めやらずといった状況で、周囲の参加者やパネリストたちと意見交換が続いていました!
以上