カンボジア調査報告②―トラフィッキング被害について(小豆沢史絵)

*ヒューマンライツ・ナウでは2006年10月1日から9日にかけて、事務局員4名をカンボジに派遣し、カンボジア特別法廷への要請及び同法廷に関する現地NGOとの意見交換、更に、カンボジアの人権状況、特に子どもと女性の人権状況の調査を実施しました。調査によって明らかとなった点について、(1)カンボジア特別法廷、(2)カンボジアにおけるトラフィッキング被害の状況、(3) バンテアイミンチェイ刑務所訪問の3編に分けて、ご報告いたします*

カンボジア調査報告②―トラフィッキング被害について

  【カンボジアのトラフィッキング被害の背景】
カンボジアにおけるトラフィッキング被害の背景には、第一には貧困という問題があります。更に90年代半ば以降、市場開放やUNTAC駐留によって資本主義経済が導入され、貧富の差の拡大や人の移動が急速に進んだことが、トラフィッキング被害を拡大させるきっかけとなりました。女性に対する差別意識が依然として強いことや、子どもを親の所有物と考え、子どもを働かせるために売買することが必ずしも犯罪として認識されていないことも、トラフィッキングの取締りを阻む原因として指摘されます。最近では、ベトナムからカンボジアへ連れて来られる被害者の数が増え、カンボジアがトラフィッキングの供給国・中継国に留まらず、受け入れ国としての問題を抱えていることが明らかとなっています。
司法という側面から注目すべきは腐敗の問題です。行政・司法の腐敗は、警察官をはじめとする末端の公務員に留まらず裁判官にまで及んでおり、「裁判の休憩時間に被告人が裁判官室に赴き、裁判官に賄賂をオファーする。」といった事態も珍しくないとのことです。もっとも汚職が蔓延する背景には、裁判官を初めとする公務員の賃金が著しく低く、賄賂を受け取らなければ生活できない事情があり、法の整備や意識改革だけでは解決が困難なのも事実です。更に、ポル・ポト政権下で裁判官を含む知識層の大半が殺害された結果、法的教育を全く受けずに裁判官や弁護士になった人が多く、法の整備が進んでも、法曹関係者に法律を適切に理解し適用する能力が欠けているという指摘も随所で聞かれました。司法の独立が確立されていない点も深刻です。カンボジアでは、ここ数年、暗殺等の身体に対する直接的攻撃は減少しているものの、不当逮捕等による、言論や人権活動への弾圧は依然として続いています。
このような事情から人々が司法を信頼していないことに加えて、裁判所に訴えるには多大な費用や時間がかかることから、被害者が司法的救済を求めなくなるという悪循環が生まれています。また、仮に被害者が司法的救済を求めた場合でも、関係機関による不適切な尋問等により被害者が更に傷つけられるケースが多々見られるとのことでした。
最近では、日本を含む各国の支援で設立された弁護士養成校や王立司法官職養成校等が新しく法曹となる人々の研修を実施し、こうした教育機関の卒業生に期待する声も聴かれました。また、従来の法曹関係者に対する研修等も実施されています。しかし、これらの改革は始まったばかりで、法曹の意識改善や質の向上には、まだまだ相当の歳月と資源が必要と感じました。

【各機関の取組み】
このように、トラフィッキング被害を取り締まる上で様々な困難がありますが、その一方で、カンボジアでは、政府機関を初め、多くの国際機関やNGOが、トラフィッキングの予防や被害者保護のプログラムを実施しています。
政府レベルでは、「子どものトラフィッキング及び性的搾取対策5ヵ年計画」が2000年に採択され、被害の防止、被害者の保護と支援、家庭や地域への再統合を促すための様々なプログラムが実施されています。トラフィッキングの問題は、警察行政や司法だけでなく、教育、保健、社会福祉等の様々な分野に関わる問題であることから、省庁の垣根を取り払い、効率的な協力体制を築く努力も進められています。国境を越えて取引される被害者を保護するためには隣国との協力が不可欠ですが、この点については、例えばタイ政府との間で、2003年5月に、「子どもと女性のトラフィッキングの撲滅及びトラフィッキング被害者の援助の二国間協力に関する覚書」を締結し、被害者が不法入国等によって処罰されないことが明文化されました。
国際機関も、カンボジアやその周辺諸国におけるトラフィッキング被害の撲滅に積極的に取り組んでいます。今回の調査では、国際移住機関(IOM)カンボジア事務所とUNICEFカンボジア事務所を訪問しました。IOMでは、国境を越えて取引された被害者の一時避難のためのTransit Centerの運営や行政・司法担当官への研修だけでなく、貧困とトラフィッキング被害という連鎖を断ち切るための貧困対策のプログラムにも力を入れています。UNICEFでも、子どもを保護するためのネットワークの構築やソーシャルワーカーの研修を行う等、様々な側面からラフィッキング被害の問題に取り組んでいました。
NGOの活動も極めて活発です。数多くある団体の中で、今回は、被害者に対する法的支援を行っている「Cambodian Defenders Project(CDP)」と「Legal Support for Children and Women(LSCW」)」、シェルター運営等、人身売買の予防と保護の活動をしている「国境なき子どもたち(KNK)」と「Health Center for Children (HCC)」、両方を実施している「Agir Pour Les Femmes en Situation Precaire(AFESIP)」 を訪問しました。
CDPは1994年に設立されて以来、刑事・民事の両方において、貧しい人や社会的弱者に対する法律扶助サービスを行っているNGOです。LSCWは、トラフィッキングやその他の搾取・暴力による被害を受けた女性へのリーガル・サポートの提供や、関係機関への研修、タイ国内に滞在するカンボジアの移住労働者への支援等を行っています。両団体ともカンボジアの弁護士たちが、カンボジア全土に活動を広げ、極めて厳しいカンボジア司法の環境にも関わらず、大きな成果を挙げている点に深い感銘を覚えました。
KNKは、アジアの開発途上にある国々のストリートチルドレン、孤児、虐待の被害に遭っている子どもなどを支援するために設立された、日本を本拠とする非営利団体です。今回は、カンボジア第二の都市バッタンバンにある「若者の家」を訪問しました。多くの施設が、入居可能な年齢を15歳程度までとしている中で、「若者の家」は、15歳を越えても家族や故郷に戻ることが困難な子どもを受け入れています。現在滞在している子どもたちの中には、里親を見つけて大学へ進学した子どももいるとのことで、私たちがインタビューした少女たちも、いずれもが大学進学を含めた、将来に対する明確な希望を持って日々の勉強や職業訓練に励んでいました。
一方、HCCはトラフィッキングやその他搾取され他子どもたちを支援するために設立されたNGOで、子どもに対する搾取の予防と防止のために、コミュニティーをベースとしたネットワークの構築から、奨学金支給等による就学支援、シェルターにおける職業訓練、家畜貸与等による収入向上の支援等、非常に幅広い活動を行っています。
今回訪問した機関・組織以外にも、カンボジアでは、多くの政府機関、国際機関やNGOがトラフィッキングの問題に取り組んでいますが、一方で被害者の実
態を数値的に把握することすら困難な状況にあり、法的保護を受けられる被害者も一部に留まっています。そもそも、トラフィッキングの問題は、貧困、不処罰の文化、女性への差別、汚職等、様々な問題が複合的に絡み合った結果であり、トラフィッキングという病理への対症療法のみで根絶できる問題ではありません。関係機関も、そうした認識の下、貧困僕別や司法へのアクセス、汚職根絶を含むガバナンスの向上、人々の意識啓発等、様々な視点から問題へ取り組んでいるのが印象的でした。

【トラフィッキングを巡るカンボジアの国内法について】
さて、カンボジアでは現在、人身売買と性的搾取を取り締まるための新しい法律の制定作業が進められており、日本の山田洋一弁護士がそのリーガル・アドバイザーを務めています。今回の調査では、この新しい法律に関して、関係各機関と有意義な意見交換をすることができました。
カンボジアでは、1996年に「誘拐、人身取引及び人間の搾取の取り締まりに関する法律」が制定されましたが、用語の定義が不明確だったり、内容が不十分だったことから、99年から新しい取締法の起草が始まりました。新法では、トラフィッキングや売春等に関して、その関与の形態に応じた広範な処罰規定を盛り込み、また、民事救済規定を充実させる等様々改善がみられる一方で、いくつかの点では、今回訪問した関係機関において、更なる改善を求める声が聞かれました。具体的には、①国連の「人(特に女性及び子ども)の取引を防止し、抑止し及び処罰するための議定書」が掲げるトラフィッキングの定義と整合してないこと、②現在フランス政府の支援で起草中の刑法といくつかの点で整合していないこと、③被害者保護が不十分なこと等です。
そもそも、①や②のような不整合が生じたのは、新法制定の作業が始まった後に、国連の人身取引議定書の批准やフランスによる刑法制定作業が始まったという事情がありますが、例えば国連の人身取引議定書では、強制労働や臓器摘出を目的としたトラフィッキングも対象とされているのに対し、新法では、加重事由とされるトラフィッキングの目的を、「営利、性的搾取、ポルノ製作、自発的意思に反した婚姻と養子縁組」に限定している結果、強制労働や臓器提供を目的とするトラフィッキングは、より軽い、『目的を限定しない「人の取引」』により処罰されるに留まるといった違いが生じています。このように、新法については未だ議論が続いている部分もありますが、一方で、既に起草の着手から相当な年数が経過しており、早急に法の制定を求める声も聴かれました。司法省としては、今後、文言等の調整が済んだ段階で、Council of Ministersに提出する予定にしているとのことです。

【HNRの今後の取組みについて】
今回の調査は、特に立法や司法といった点から、カンボジアにおけるトラフィッキング被害の問題にアプローチすることでした。この点、カンボジアの司法が抱える問題点を把握できたこと、現在作業中の新法について関係機関と意見交換できたことは、大きな成果となりました。特に、新法については作業も大詰めを迎えており、この法律が施行されれば有効なツールとなることが期待されます。もっとも、ツールとして活用されるためには、法律が適切に理解され適用されることが必要ですが、カンボジア司法の現状を考えるとき、その実現には多くの障害を伴うことが予想されます。ヒューマンライツ・ナウとしては、今回の調査に協力頂いた関係各機関と今後も交流を深め、彼らとの協力の下、サポートのあり方について検討し、プロジェクトとして具体化していく予定です。

 

(HRN事務局 弁護士 小豆沢史絵)