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第二次大戦終結から70年。日本は戦後、廃墟から見事に復興して発展を遂げ、いわゆる先進国の一員として、人権保障を含む国連の活動への分担金支払い、途上国への開発援助を含め多方面で国際的に多大な貢献をしてきた。紛争解決の手段として武力を使わないことを謳った憲法の下、専守防衛に徹し、武器輸出三原則により原則として他国に武器を輸出してこなかったことも、平和主義国家として高い評価を得てきた。
しかし、このような戦後日本の美点は、残念ながら2000年代に入って大きく揺らいでいる。日本はもともと、中東では植民地主義で手を汚しておらず、戦後の平和国家のイメージや経済発展で好感を持たれる国だったが、小泉政権時の2003年、対米関係を重視するあまり、国際法上何の根拠もないイラク攻撃にもろ手を挙げて賛同。米軍に莫大な後方支援をしたほか、日本と極東の平和維持のために駐留しているはずの在日米軍が沖縄はじめ各地から出撃するのを黙認し、その後は、破壊されたイラクの「復興」支援と称して、対米支援のため自衛隊を派遣した。
イラク戦争による国の秩序破壊とその後のイラク政権によるスンニ派迫害は、イラクと周辺国での宗派対立を激化させ、スンニ派過激組織「イラクのアルカイダ」を源流とする今日の「イスラム国」勃興の要因となった。ファルージャなどイラク各地での民間人殺戮、アブグレイブ収容所での拷問・虐待、アルカイダとのつながりを疑われた人が片端から収容されたグアンタナモ米軍基地での拷問・虐待も、米軍とそれに協力する国に対するイスラム教徒の激しい怒りの元になっている。「イスラム国」の人質とされた後藤健二さんと湯川遥菜さんが着せられていたのは、グアンタナモ収容所で被収容者が着せられている服を模したものだ。「イスラム国」の行っている数々の非道な行為は糾弾されて当然だが、そもそも「イスラム国」の勃興には、2003年のイラク戦争支持に遡る日本の政策も大きく一役買っているという事実にも、私たちは目を向けなければならない。<