【イベント報告】8/6(土)「中高生のための人権サマースクール」を開催しました。

国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは2016年8月6日(土)、未来を担う中学生・高校生の皆さんに、身近にある人権問題について理解を深め、困っている人たちのために声をあげられるようになってもらいたいという思いから、「中高生のための人権サマースクール」を開催しました。

今回のサマースクールで受講生の皆さんは、「人権ってなに?」という授業で人権の背景にある歴史を学んだ後、「障がい者の権利」「外国人・難民の権利」「子どもの権利」といったさまざまな分野の人権について学びました。また、8月6日の原爆の日に合わせて、実際に被爆された当事者の方の体験談を聞く時間を設けましたが、受講生の皆さんは真剣なまなざしで耳を傾けていました。

ヒューマンライツ・ナウでは、今後も中高生の皆さんを対象に、人権の大切さを呼びかけるイベントを開催してまいりますので、皆様のご支援・ご参加宜しくお願いします。

以下、当日サマースクールに参加されたボランティアの方の報告を紹介します。

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2016年8月6日に開催された「中高生のための人権サマースクール」に参加した中高生の皆さんは、「人権とは何か」をテーマに、障がい者の権利、外国人・難民の権利、子供の権利について学びました。また、サマースクール開催日の71年前の8月6日は、広島に原爆が投下された日であり、広島で実際に原爆を体験した被爆者からお話をお聞きししました。丸1日かけて、様々な「人権」について学んた後、まとめとして二つのグループに分かれて身近にある人権問題・その解決方法を自分たちで考え、発表を行いました。以下、各授業で学んだ内容です。

 

1.人権ってなに? 講師:柳原 由以先生(弁護士)

弁護士の柳原由以先生を講師に迎え、「人権とは何か」、「人権」という考え方がどう形成されたかを学びました。「人権」とは、「人が生まれながらにして持っている権利」です。人権が人類の歴史の流れの中で必要とされ生まれてきた概念だということを説明しました。「人権」という発想自体がない君主制の時代から、「市民のために国家がある」という考え方が生まれてきた市民革命時代、そして人類初の総力戦であった2度の悲惨な世界大戦を通して、2度と人類が戦争を起こさないように「人権」という概念が作り出されました。2度の世界大戦では、市民が「明日生きていられるかわからない・生きたいと言えない・生きていていいと言えない・生きたいと思えない」という状況におかれました。戦後、そうした状況を起こさないために、「人権」という概念を守るための世界人権宣言を各国が結びました。最後に、人間の不断の努力により守られるのが人権であるという憲法12条の条文の引用が印象に残りました。

 

2.障がい者の権利 講師:柳原 由以先生(弁護士)

引き続き、柳原先生が、障がい者の権利とは何か、歴史の流れから障がい者にたいする考え方がどう変化してきたかについて授業をしました。障がい者の歴史は、ナチスによる迫害や、日本国内のハンセン病患者の収容政策など「排除と虐待の歴史」でした。現代世界では、「障害がある人に優しくしなさい」という発想から、「障害を作ってしまっているのは社会の方である」というパラダイムの転換が起こりました。現在の法律の世界でも、障害はその人が持っているのではなく、社会側にあるという考え方がされています。相模原市で起きた障がい者の大量殺人は「重度の障がい者は生きていても仕方ない。安楽死させたほうがいい」という理由から引き起こされました。人間に生きていい人・悪い人の区別などなく、人は生まれながらにして平等であるというのが、人権の考え方です。自分の中に偏見や差別がある可能性はないかということを見直すこと、偏見や差別は知識によって克服することができるということを教わりました。

 

3.外国人・難民の権利 講師:渡邉 彰悟先生(弁護士)

弁護士の渡邉先生は、難民とはどのような人のことを指すのか、難民にどのような権利が認められているか、具体的な例を交えて説明しました。難民条約によると、「難民」とは人種・宗教・国籍・政治的意見、または特定の社会集団が理由で迫害を受ける(恐れのある)人々と定義されます。難民に対して、ノンルフルマン原則で生命や自由が脅かされかねない人々を母国に返してはならないということが定められています。ミャンマーの少数民族ロヒンギャに対する迫害から、具体的にどんな人が難民として認定されなければならないのかを学びました。また、日本の難民認定は毎年一桁程度しかされず、「金は出すがては差し伸べない国」が日本と世界に認識されています。この難民保護の状況はいまの日本社会を映し出しており、「難民・外国人に包容力のない社会は自国民に対しても抑圧的」ではないかというまとめが印象に残りました。

 

4.子どもの権利 講師:岡崎 槙子先生(弁護士)

弁護士の岡崎先生は、子どもの権利について授業をしました。「子ども」の定義は様々な法律で定義されています。子どもの権利条約では18歳未満のすべての子ども、児童福祉法では18歳に満たないもの、など18歳未満が「子ども」とされている例が多数です。「子どもの権利」についての子どもの権利条約とは、「子ども」を周りからの助けが欠かせない存在であり、また、援助があればどんどん成長していくことのできる存在と理解した上で、子どもの成長に何が必要か、何をしてはならないかなどを定めた条約です。中でも、「子ども」について4つの原則が認められています。一つ目は、子ども本人だけでなく、両親の、国や人種・性別・言葉や宗教の違い等により差別されない権利。二つ目は、国が子どもが人間らしく生きること、のびのび成長することを保障する生存と発達の権利。三つ目は、子どもにとってどうするのが一番いいかを一番に優先して考えなければならない子どもの最善の利益。そして、四つ目は、子どもは社会に参加する一人として、意見を聞いてもらい、尊重してもらうことができるという意見を表明する権利。これらが「子ども」が持つ権利として定められていることを学びました。

 

5.原爆の日についてみんなで考えよう 講師:大岩 孝平先生(一般社団法人東友会代表理事)

広島での原爆体験を被爆者である大岩先生からお聞きしました。大岩先生は、71年前の8月6日、13歳の時に爆心地から2キロの地点にあった自宅で被爆しました。当時中学生で、学徒動員で建物疎開の作業を行っていましたが、当日はお腹が痛いということで休んだ選択が生死を左右することとなりました。大岩先生と一緒に学徒動員で働いていたほとんどの友人が亡くなりました。当時13歳で、目の前に大やけどを追って肉が垂れている人々が周りに逃げてきてバタバタと亡くなっていく姿を見なければならなりませんでした。助けてくれとすがり付いてくる人に何もできず、逃げるしかできなかったことが心残りだそうです。被爆後、歯茎に触るだけで出血し、髪が抜けた時は「これからどうなるんだろう」という不安でいっぱいだったとおっしゃていました。大岩先生は現在、原爆による大きな病気を患うことなく生活していますが、今でも原爆の後遺症であるガンが何箇所にもでき、苦しんでいる人がかなり多くいるそうです。

世界には、核兵器が1万5000発以上開発されています。当時より悪いことに、複数の国が威力が大きくなった核兵器を保持しています。もし核兵器で国同士が互いに使用することになったら世界がなくなってしまう、核兵器は絶対に使ってはいけない兵器だと訴えておられました。また、核兵器を持っている国は「何かあったら使おう」と思って維持している、使わないためには無くさなければならない、と主張されていました。そして、核兵器禁止条約の交渉で日本が賛成しないことについて、日本が核廃絶の先頭に立つべきだという考えを述べておられました

大岩先生からのメッセージ「帰ったら、お父さん、お母さん、学校の先生・友達に広めてください。誰かが話さないと忘れられてしまう。戦争は忘れた頃に必ず起こる」という言葉は強く印象に残りました。最後に、大岩さんが所属する東京の被爆者団体は、「我ら生命もってここに記す 原爆許すまじ」というスローガンの下活動を行っていることを聞き、日本人として語り付いでいかなければならないことであると考えさせられました。

 

6.わたしたちの身の回りにあるものと人権のつながり (ワークショップ) 講師:宍倉 栄先生(ヒューマンライツ・ナウ職員)、ファシリテーター:小川 隆太郎先生(弁護士)

1日学んできた「人権」についてのまとめとして、二つのグループに分かれ、身近な生活の中にどんな人権問題があるか、その問題に対してどう解決したらいいかを参加者が自らで考え、発表を行いました。身近な人権問題として、参加者の中高生から、いじめ、ネットの悪口、ヘイトスピーチ、児童を車に置き去りにする児童虐待等があげられました。解決方法として、差別等に対しては知らないことで差別してしまうことがあるので勉強して知識を身につける、作文を書いて周りに発表する、ボランティアを行うなど、問題に対して実際に具体的な行動を起こすところまで考えられていました。

最後に、伊藤和子ヒューマンライツ・ナウ事務局長が、本日学んだことを忘れずに将来に生かしていってほしいという挨拶で締めくくりました。(横田佑花子)

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